ペンネーム:なのはな
年齢:29歳
学歴:短期大学芸術学科卒業
勤続年数:3年
年収:420万円
音楽コンサートや演劇、ミュージックビデオなどの舞台美術の仕事。残業は月に60ー80時間。福利厚生は社会保険、結婚手当や産休なども完備
私は音楽コンサートや演劇、ミュージックビデオなどの舞台美術の仕事をしていました。
製作部と呼ばれる部署に所属しており、部内では「鉄骨部門」「木工部門」「塗装部門(特殊造作含む)」「経師部門」に分かれており、私は「塗装部門」に所属しておりました。
具体的には、舞台美術の背景がを書いたり、小道具の塗装やエイジング技法を用いた塗装を施したりして、イベントのコンセプトに合う世界観をつくりあげていく仕事です。
塗装の他に、スチロールやFRPといった特殊樹脂での造形造作なども行なっておりました。勤務形態は週に6日出勤、休日は固定で、チームメンバーと被らないようにそれぞれが違う曜日で構成されています。
残業は月に60ー80時間、多い時はそれ以上でした。福利厚生は社会保険、結婚手当や産休なども完備されており、残業代の支払われていましたので、手厚かったと思います。
世の中がお休みの時が一番の忙しいので、正直長期休みなども取りにくいですが、自分の仕事がメディアに取り上げられたり、誰かの思い出になることにとても充実感を感じていました。
周りからは尊敬のまなざしで見られていた。
私は大学生時代から「普通のOL」にはなりたくない!と言っていたところがありました。
(今となれば食わず嫌い的なところがあったと思います)ですので、その仕事についた時、両親や友人などからとても尊敬されていました。
仕事をしたアーティストや規模感は誰もが知っているものでしたので、仕事のイメージがつきやすかったんだと思います。
私自身も、仕事はとても厳しくつらいことも多かったですが。そういった評価をしてもらえることが何より嬉しくモチベーションになっていました。
陰湿ないじめも経験。見返すためにも仕事を真面目に取り組んだ。
私が仕事でつらかったことは、職人気質の世界ということと、男社会ということもあるかと思いますが、職長がとても癖のつよい方で、気に入らない人がいると仕事から外したり、わざと一人で仕事をさせたり、口をきかなかったりと陰湿ないじめがあったことです。
その対象はその都度変わっていきますが、私も対象になったことがあり、その時はとてもつらかったです。しかし、会社の先輩に「仕事ができれば絶対につかってくれる。
だから仕事で見返すしかない」と言われ、その人に認められるように毎日努力していました。本当に悔しかったですが、そのおかげでその人から「いつも頑張っている」と評価されるまでになりました。
実際に職長は癖は強いですが、仕事はとてもできる人なので、うれしかったです。
大人になって怒られる経験は貴重な経験になった。今ならそういう人がいてよかったと思える。
私は、今まで「なんとなくうまくやってきた」というタイプの人間でしたし、仕事を始める前は、だからこの先もうまくやっていけるだろうと甘くみていた部分があります。
しかし、現実はそうではありませんでした。休みもなく、時間も朝から晩まで働くと、人は本性を出し始めます。
イライラしたり雑になったりします。私は芸術学科出身で筆を握った経験はありましたが、美術が仕事であると意識づけるまでかなり時間がかかりました。
私たちが塗っていること、描いていることがお金になっているのだという意識を持つのに苦労しました。しかし、それを指摘されてからは、毎日仕事に真摯に向かうようになりましたし、大人になってから怒られるということもなかったので、怒られて反省しての繰り返しで日々を送っていました。
今となってはとても重要な時間だったと思いますし、そういう人がいてよかったと思っています。
実際の仕事内容は地味。しかし、その中でやり続けることで熱意が成果物にでる。
この業界に憧れて入社し、想像と違って辞めていく人間をたくさん見てきました。本番当日の華やかさはなく、実際の仕事はとても地道で地味です。
しかし、その中にも一緒に作り上げていく仲間との絆や、誇りがあります。大変なことも多いと思います。
特に女性は、体のつくりも男性とは違いますし、それが時として仕事の妨げになることがあるかもしれません。
これからこの仕事を目指す方は、今一度自分の熱意の源を考えてみてください。私は、好奇心だけで入社して、負けず嫌いと責任感で続けてきました。
思い返せば大変なこともたくさんありましたがとても充実した毎日を送っていたと思いますし、毎日毎日寝る時間を削ってつくったイベントの本番を見に言った時に感動は何者にも変えられません。
熱意が成果物にでる仕事だと思います。
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